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代表インタビュー

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元自衛官が訪問看護の世界へ
「有事即応」の精神で挑む、超高齢社会の最前線

株式会社SOERUTE 山上 剛史

元自衛官が訪問看護の世界へ
「有事即応」の精神で挑む、超高齢社会の最前線

    公開日時:2025.12.15

    山上様のご経歴を教えてください。

    僕は元々、幹部航空自衛官でした。防衛大学校を卒業して、戦闘機の整備やマネジメントを担当していました。沖縄の那覇や青森の三沢で10年間、現場のリーダーを務めていました。23歳の時には84人の部下がいて、年下はたった5人しかいないという環境でスタートして、パイロットと一緒に空を守る仕事でリーダーを10年間務めました。

    特に後半は青森の三沢基地におり、ちょうど東日本大震災が起こった時期だったので災害派遣に出て、被災者支援も行いました。その後2年間は、幹部になる直前の教育をする「幹部候補生学校」で教官を務めました。その間に、防衛省からフランスに出向して修士号を取ってくる話があったんですが、フランス側の都合でなくなってしまい、代わりにオーストラリアに行くことになり、航空自衛隊からは初めてオーストラリアの国防大学と国立大学の修士を取るように言われました。英語力がないと大変だったんだけど、なんとかクリアして取得して、2年間のオーストラリア勤務を終えて2017年の12月に日本に帰ってきました。

    山上様の訪問看護に携わるきっかけを教えてください。

    オーストラリア勤務から帰ってくる直前に、家族が寝たきりになってしまいました。その親族が事業をやっていたのですが、閉じざるを得ない状況になりました。

    そこで妻と話し合って、「何か自分たちで新しく事業するしかないよね」と考えた時に、妻も元々は航空自衛官なんですが、6年勤めた後に民間の資格を取りたいということで、国家資格の看護師資格を取っていたんです。奥さんの看護師の資格を使ってやれることってないかなというのが、訪問看護を始めるきっかけになりました。でも奥さんは急性期出身で、ICUや救命救急センターしか経験していなかったので、在宅医療は全く知らない状況でした。それでも「やるしかないよね」ということで、ちょうど2人目の子を授かっていたので、妊娠8ヶ月で妻が起業をしました。

    その時僕は防衛省本省勤務に復帰を命じられていました。そこでは無人偵察機の導入とか、当時はまだ公表されてない新規の事業に携わらないといけなくて、家族にも伝えてはいけない状況だったんです。自分のキャリアをあきらめていない状況だったので、先に妻が会社を立ち上げました。

    自衛隊を退官し、株式会社SOERUTEの代表となった背景を教えてください。

    株式会社SOERUTEは、2018年4月に起業しましたが、すぐに妻がストレスで耳が聞こえなくなったり、帯状疱疹になってしまい、長女も左手を肘ごと粉砕骨折をしてしまい、障害が残ってしまうかも知れないほどの怪我を負いました。その時に俺は神様に何か試されてるというか、『いつまで自分のキャリアにしがみついてるんだ』と言われた気がしたんです。自分のキャリアにしがみついてる場合じゃないなと思って辞めることを決意しましね。ただ、やってることが大きかったし、組織としては待ってくれるという話で「何とか戻ってきてほしい」と言ってもらえたので、育児休業を取りました。

    妻が起業していた訪問看護事業は、片手間でやる仕事ではありません。副業になってしまうから、妻のことは直接手伝うことはできないけど、一緒に経営を見てる中で、「このまま防衛省に戻っていいのかな」と悩んでいました。防衛省に約7ヶ月間育休を取って戻ったときに、また海外の勤務の話をされてしまい、「もう無理だ」と思ったんです。それで「これは辞めるしかないな」と思ったのがきっかけで、2019年4月に退官して、妻が起業した1年後にソエルテに合流しました。

    株式会社SOERUTEがどのように成長し、現在の事業形態に至ったのか、経緯を教えてください。

    最初は社員5名でした。その後ナースを揃えて、居宅介護支援も1人雇うことができ、徐々に始めて、もともとは在宅系のサービスだけで始めました。

    現在の看護小規模多機能型居宅介護が一緒になったのは、2020年の3月です。

    弊社のナースたちがグループホームに健康チェックのために週に1回入ってたんですよね。そこで僕らのことを知ってもらい、「会社は若い子たちが経営してるみたいだよ」というので、気にかけてもらうようになりました。もともと地主さんが施設を建てて、グループホームを経営をしていましたが、やはり介護のプロではないからうまく運営ができてなくて、「何とかできないかな」という相談があったんです。それで社員も施設もこのままで、賃料だけ納めてくれればという形で、無償譲渡いただいて、事業を引き継ぎました。

    創業時の苦労とどのように乗り越えたのかを教えてください。

    麻生区というエリアは去年、日本一の長寿の街に選ばれたほど、男性も女性も長寿なんですよ。だから高齢者事業に入ってこようとする民間企業も多いですし、元々いらっしゃった人たちが高齢者の皆さんを守っていくという社会が出来上がっていたので、そこに当時36歳ぐらいの経営者夫婦が新規参入するのは、そんな簡単ではありませんでした。

    最初は訪問看護の月間利用者さんが2名しかいなかったです。それで防衛省の退職金を全部つぎ込んで、とにかくみんなが嫌がる仕事しかもらえないけど、そういう仕事を1個ずつこなしていこうというのを心がけました。そのため、土日もないし、お盆も正月も働き、何もかもが大変でした。

    また、既存のコンサバティブな福祉業界の中では、「なんでそんな事で悩むんだろう」とか、「ルール・規則・前例はこうです」みたいなところばかりに目が行きがちで、「そんな効率の悪いことしてたら、高齢者のことは守れないし、従業員のみんな、働く側のことも守れない」と感じることが多く、この業界にいなかったからこそ強く感じました。そのような部分に疑問を持ち、明確にして行くことを大事にしていました。あとは、1件ずつ誠意を持って利用者さんに向き合うというのを、みんなで徹底したというのが一番良かったのではないかと思います。

    施設を引き継いだ際の文化の違いはありましたか?

    施設と在宅では、文化の違いをすごく感じました。訪問看護では、特にお看取りは介入から終了までスパンが短いです。それに比べて施設やグループホームではそこで落ち着いて生活して、亡くなるまで過ごすので空気の流れが違いますね。そこをどう合わせて融合していくかというのはすごく迷いましたし、今も課題があるのかなと思います。

    今、訪看にいるスタッフたちも、2018年に起業した時のメンバーも何人か残っています。やっぱり創業メンバーは心強いですね。

    山上様が感じる訪問看護の魅力を教えてください。

    医療・介護の現場では、訪問看護師がメインプレーヤーだと思っています。訪問診療の医師と話していても、訪問診療が機能するには、やはり訪問看護ステーションとの連携が絶対不可欠で、連携ができないとうまくいかなくなってしまうんです。一時受付は全部看護師が対応するから、そこの手腕はすごく大切だと感じています。

    あと、ケアマネさんも医療案件になると看護師の知識に頼りたくなることもあると思います。

    そういう意味では、訪問看護師は常に多職種連携、中心プレーヤーだと思います。これからの時代で高齢者が増える中で、病院や施設で亡くなることができない方ってのは絶対出てくると思うんですよね。その人たちの看取りも含めて、最期の1ページ、2ページを一緒に描いていくのが訪看かもしれないから、とにかくこの超高齢社会を支えるためには、一番のメインプレーヤーだと思います。

    山上様が理想とするステーションはどのようなステーションですか?

    僕も妻も育った環境が航空自衛隊なので、「有事即応」という考え方で、とにかくすぐさま反応するというのが大切だと思っています。「助けて」という呼びかけにのに「どうした」ってすぐ返事ができる環境ですね。迅速かつ丁寧さも大切にしています。家族にとっても、非常に重要な立場です。だから、その志を持つ人たちが集まることが大切だと思うんです。それがひいては患者さんのため、家族のため、あとは働いてる人たちもそこに充実感を求めてほしいと思っています。